最近は縁の無い半畳敷き(市松敷き)の畳を 【 琉球畳 】 と呼ぶ風潮が全国的に広まってしまっておりますが、敷き方やヘリ無し半畳が琉球畳ではありません。
今日も、あるお客様から琉球畳の部屋にしたいという相談を受けましたが、殆んどの方が間違った情報を受けてしまっているのでここで 【 琉球畳:りゅうきゅうたたみ 】 という物を説明したいと思います。
一般的なヘリ無し畳が入っている和室で、目積表(目巾の詰まった畳表)を使用していたり、化学表や和紙表を使ったヘリ無し半畳は琉球畳ではありません。
それは、普通に 【 ヘリ無し畳 】 なのです。
半畳の物なら 【 ヘリ無し半畳 】 と呼びます。
本来、琉球畳というのは大分県国東半島で栽煤A織られている七島イ(カヤツリ草)で作られる青表(琉球表)の使われている畳の事を指します。
従来、琉球イは琉球王朝(沖縄)で栽狽ウれていました。
大分県での琉球畳の歴史として1663年府内の商人橋本八郎右衛門の弟で当時28歳という若者であった橋本五郎右衛門が商用で薩摩に出向いた時に琉球から渡来した「草むしろ」を見て驚き、その草むしろの魅力に取りつかれ、当時王国であった琉球へ単身密航し命がけで苗を持ち帰ったのが始まりという事です。
橋本五郎衛門が持ち帰ったトカラ列島が7つの島から出来ていたことから七島藺(しっとうい)と言われるようになり、この七島藺が琉球に多く自生していたことから琉球イとも言われ、それが琉球畳と言われる元になったと思われます。
江戸時代、琉球畳(ヘリ無し)は主に農家の畳として使用されました。
今では色々な色や柄があり自由に選べる畳縁ですが、本来畳縁というものはその人の身分(位)を表した物。
使用できる素材、柄などが決まっていたのです。
武家や商家などの畳は縁付き(無地)畳が使用されました。
私が実演を行なっている、千葉県立 房総のむらの街並を見ると武家、商家は黒無地の縁付き畳(イ草)、農家に敷かれているのが琉球畳(カヤツリ草)となっています。
参考 : くにさき七島藺(七島イ)振興会

大分県産 琉球表
現在の大分県の七島イの生産農家さんは4軒のみ、5月に田んぼに植え付け、7~8月に刈り込みます。
その殆んどの作業は手作業です。
イ草と違い泥染めはせず、2本に割いて乾燥させた物を織り込みます。
今、日本で出回っている青表の9割以上が中国産なのです。
ちなみにここ千葉県でも青表が栽煤A生産されておりました。
房州青との呼び方もあったらしいです。
また、私の住む印西でも栽煤E織られていてたまに、お年を召した方が昔、琉球(青)表を作っていたんだよという話を聞く事があります。
親父の話だと昔は農具屋さんに普通に琉球表(青表)が売っていたらしいです(驚)
琉球(青)表の特徴として、耐久性の良さが挙げられます。
琉球畳は値段3倍、持ち3倍と言われております。
今でも農家等では好んで使用される事もあり、その他 呉服屋さん、相撲部屋などでも良く使用されていると聞きます。
私の持論として縁付きでも縁無しでも青表(七島イ)が使用された畳は、 【 琉球畳 】 と呼んでいます。
それ以外の表で作られた物は【 ヘリ無し畳 】 と呼んでいます。
あなたのお部屋に敷いてあるヘリ無し畳は琉球畳でしょうか? それともヘリ無し畳でしょうか?
そんな琉球畳についてのお話でした。



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